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姫路歌人クラブ 第28回合同歌会出詠案内

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 8月23日(水)18時32分1秒
  日 時 平成29年11月3日(金・祝)
    受付12時半 歌会13時~16時
会 場 姫路市民会館(079-284-2800)
    4F 第4・5・6会議室
出 詠 クラブ会員以外でも可、原稿用紙に作品一首と住所、氏名、電話番号を楷書明記
宛 先 西村久代方 姫路歌人クラブ事務局
    *省略した住所は yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.jp に問い合わせて下さい。
締 切 平成29年9月30日(消印有効)
出詠料 1,000円(茶菓子代を含む)
    歌稿に同封のこと

歌会は3分科会とし、各会場では出席者の作品すべてに対し、質疑応答を交えて勉強会をします。
分科会後、全体会をもちます。奮ってご参加下さい。

           主催 姫路歌人クラブ
           後援 姫路市
              姫路市教育委員会
 
 

大阪府知事賞 第62回 新春短歌大会

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 8月14日(月)18時14分39秒
  日  時 平成30年1月28日(日) 12時30分~16時30分(受付開始12時)
会  場 豊中市立中央公民館(阪急電車宝塚線曾根駅下車東・市民会館北隣)
当日会費 500円
次  第 講演・作品批評・表彰
講  演 「短歌のかがやき」
講  師 道浦母都子(「未来」選者)
御  題 「語」(必ず「語」を詠み込んで下さい)
応  募 未発表作品に限ります。応募用紙に、作品と、郵便番号・住所・氏名・電話番号・出席予定を明記のうえ、出詠料を添えてご送付下さい。
     (詞書などはご遠慮下さい)
出詠料  2首まで2000円(1首でも同じ)、3首目からは1首につき500円。何首でも可。
     郵便小為替またはゆうちょ銀行振替口座 加入者名 短歌友の会連盟 記号14120 番号85160391をご利用下さい。
宛  先 澤田直子方 短歌友の会連盟事務局
     *吉岡(yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.ne.jp)に連絡頂ければ応募用紙をお送りします。
締  切 平成29年11月15日(消印有効)
選  者 上田明・佐沢邦子・牧雄彦・安田純生・吉岡生夫
賞    大阪府知事賞
       第一席(賞状・副賞商品券一万円)
       第二席、第三席(賞状・副賞商品券七千円)
     豊中市長賞(賞状・副賞商品券五千円)
     豊中市議会議長賞・豊中市教育委員会賞・豊中市中央公民館長賞・短歌友の会連盟会長賞(賞状・副賞商品券三千円)
     選者賞若干名  佳作若干名
主  催 豊中市立中央公民館・短歌友の会連盟
 

Amazon.co.jp: 吉岡 生夫:作品一覧、著者略歴

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 7月12日(水)08時31分4秒
  Amazon.co.jp: 吉岡 生夫:作品一覧、著者略歴に写真をアップしました。「短歌人」に入会した頃と思われます。今後、20代、30代、40代、50代、60代の写真を加えていくつもりです。

【著者略歴】
1951年生まれの歌人。「短歌人」同人、現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。
 十代から短歌と親しむ中で次第に違和感をも育んだ。それを解消してくれたのが五句三十一音詩という概念だった。万葉集の三十一文字は長歌に対する短歌であり、古今和歌集は漢詩に対する和歌であった。和歌は短歌のすべてをカバーしなかった。近世はその和歌と和歌に対する狂歌の並立時代である。この史観に日本語の歴史を重ねると古代語の和歌に対して、談林俳諧と時期を同じくして近代語を導入した狂歌の先見性が際立ってくる。さらにこの考えを近現代短歌に敷衍して用語「文語体」と「口語短歌」に替わる「古典語短歌」と「現代語短歌」を提唱し、論作両面から訴えている。
 

短歌人兵庫歌会7月の御案内

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 6月29日(木)16時43分36秒
  題詠は「虫」または虫の名となります。所用で欠席の場合は作品のみの参加を受け付けます。選歌と「今月の注目歌」を提出して下さい。結果を報告させて頂きます。人の目に映る「私」を知る絶好の機会です。

日  時 7月16日(日)13時~17時
場  所 神戸市勤労会館(303会議室)
     神戸市中央区雲井通5丁目1-2
     ℡ 078-232-1881
交  通 市営地下鉄・JR・阪急・阪神・ポートライナー各三宮駅から東へ徒歩10分
会  費 500円
参加方法 自由詠1首、題詠1首、住所、氏名を記入の上、下記にお送りください。
       ※題詠=「虫」もしくは虫の名
宛  先 吉岡生夫
     E-mail yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.ne.jp
締め切り 7月8日(土)     必着

今後の予定  9月17日(日)神戸市勤労会館
      10月15日(日)神戸市勤労会館
 

口語歌、口語短歌とは近代の用語。今は現代語短歌なのだ

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 6月26日(月)16時52分13秒
  私たち歌人は二つの文法を知っている。一つは古典文法であり、もう一つは現代文法である。古典文法にのっとって作られるのが古典語短歌であり、現代文法にのっとって作られるのが現代語短歌である。これが歌人・吉岡生夫の見立てであるが、如何せん、歌の世界では市民権を得るに至っていない。その気配もない。
 彼らにとって、古典文法とは文語文法であり、古典語短歌とは文語体短歌(文語短歌)のことなのだ。これを受けて現代文法とは口語文法となり、現代語短歌とは口語歌(口語短歌)となる。なるほど「ジャパンナレッジ Personal」で「すべてのコンテンツ」、見出し「文法」、後方一致で検索すると89件がヒットする。そこに「文語文法」と「口語文法」は見いだせるが、「古典文法」も「現代文法」も登場しない。その意味では「文語体短歌(文語短歌)」も「口語歌(口語短歌)」も理にかなっている。ただし、その「理」が正しく現代を反映しているかどうかは、もちろん別問題である。ちなみに『現代短歌大事典』(三省堂)を開くと「口語短歌」は載っている。「口語歌」はないが、「口語歌運動」が載っている。一方で「文語体短歌」「文語短歌」は載っていない。アプリオリな存在らしい。いずれにしても「ジャパンナレッジ Personal」の各辞書(事典)も『現代短歌大事典』も、この点に関しては見直す必要があるだろう。

 ほかでもない。野村剛史著『日本語スタンダードの歴史 ミヤコ言葉から言文一致まで』(岩波書店)の第Ⅱ部「スタンダードから言文一致体へ」第1章「明治初年の口語体」を読みながら、その確信を強くしたのであった。
 私たち歌人は、まだ言文二途の時代を脱していないのだ。
 以下、*の註また赤字と太字の処理は吉岡である。

【204頁~205頁】
 この時期の言文一致論に付随する問題として、「話し言葉」と「書き言葉」に関する概念上の混乱がある。「はじめに」で示したように、「話し言葉」と「書き言葉」については、
  話し言葉(*現代文法)
      ┌口語体(*現代文法)
  書き言葉┤
      └文語体(*古典文法)
という、非常に単純な構造が存在するのだが、主要な「書き言葉」が「文語体」であったこの時代には、しばしば無造作に、「書き言葉」と「文語体」が一つのものとして、「話し言葉」と「口語体」が一つのものとしてイメージされてしまう。少なくとも、「口語体・文語体」という文体の相違は、「書き言葉」内部の分化に過ぎないことに自覚的ではないのである。
 「言文一致」とは、その本来の目的を考えると、「書き言葉口語体」を創出することである。ところが、「言文一致」という用語で、「書き言葉口語体の創出」を意味することは、困難である。けれども、実際に大抵の言文一致論者が行おうとしていることは、「文語体」であった。「文」(書き言葉)の文法を、「話し言葉」の文法を基盤にした「書き言葉口語体」に置き換えようとすることであった。実際、「言」が話し言葉を意味し、「文」が書き言葉を意味するのであったら、それらを「一致」させることは不可能であるが、そのような用語上の弱さ・矛盾を「言文一致」は抱え込んでいた。だから「言文一致」という用語に対しては、いくらでも揚げ足取りが可能である。しかし、理屈の面では不十分だったかもしれないが、明治期に「言文一致」は立派に成功を収めた。実際には、古典文法ではなく話し言葉の文法に従った書き言葉、すなわち書き言葉口語体の創出に成功したのだ。もっとも忘却されてはきたが、「書き言葉口語体」はもともと、開化啓蒙体や小新聞談話体として、半分くらいは自然発生的にでき上がっていたわけである。

【207頁~208頁】
 辰巳小次郎は(略)「話し言葉=口語体」と考えており、言文一致論者もまた「話し言葉=口語体」と述べてきていたので、二つの見当はずれが一致すれば、矢は的を射ぬいてしまうのである。
 ちなみに、翻訳家として著名な森田思軒もまた(略)、「話すとおりに書くことはできない。だから言文一致体は不可能だ、現に西洋でも話すとおりには書いていない」という趣旨で議論を組み立てている。しかし、確かに欧米の文章は「言文一致体」なのであるから(文語体ではないのであるから)、そこから出発すれば議論は逆に「書き言葉」と「話し言葉」の差異にたどり着くはずであるが、「話し言葉=口語体」(*現代語)「書き言葉=文語体」(*古典語)という連結は、それほどまでに強固なのであった。

【209頁~210頁】
 四迷は、言文一致不可能論に対して次のように述べている。

   (略)、欧米諸国に二つの文法なし、言語も文章も皆同一の文法を奉するもの也、(略)。

 「言語も文章も皆同一の文法を奉ずるもの」が「言文一致」なのであって、「平生の談話」は「整斉を欠く」ことがあるが、「文章を綴る時には」「極めて整斉」なのは、当たり前のことだと考えている。「話すとおりに書く」ことを反対根拠にして行う言文一致体批判は、美妙・二葉亭には通用しない。

 以上。
 長々と引用したのは、ほかでもない。歌壇における用語である「文語(文語体)」と「口語(口語体)」ないし「文語体短歌(文語短歌)」と「口語歌(口語短歌)」を連想せざるを得なかったからである。強烈といってもよい、この連結から私たちは解放されていない。
 現状は、

    ┌話し言葉、口語(口語歌・口語短歌)  ─口語文法
  短歌┤
    └書き言葉、文語(文語体短歌・文語短歌)─文語文法

だろう。しかし時代は言文一致後の現代である。したがって、

       ┌話し言葉、口語┐
  古典語短歌┤       ├古典文法
       └書き言葉、文語┘

       ┌話し言葉、口語┐
  現代語短歌┤       ├現代文法
       └書き言葉、文語┘

とならなければならない。
 口語歌ではない。口語短歌ではない。現代語短歌なのだ。同じように文語体短歌ではない。文語短歌でもない。古典語短歌なのだ。古典文法と現代文法という異なる文法によって文体も二つに分かれるのだから当然といえば当然の話である。いわゆる混合体などという奇妙な文体が流行るのも、こんなところに一因があるのかも知れない。もっとも古い詩型に携わる歌人の日本語が最も怪しいのである。
 歌の批評といえば、その内容が俎上にのぼるのが通例である。もちろん、そのことに異存があるわけではない。それはそのとおりなのだが、その前に、ほんの少しでもよいから、ツールとしての日本語について考えを及ぼしたい。そんな機会になることを願わざるを得ないのである。

【参考】

用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~


現代の雅俗折衷歌人の皆様へ

共時態と通時態~混迷する現代短歌~
 

共時態と通時態~混迷する現代短歌~

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 6月11日(日)08時36分18秒
   野村剛史の『話し言葉の日本史』(吉川弘文館)中「補説 音声と音韻――言語学初心者のために」に「共時態と通時態」という一節がある。引用すると、こうだ。

 現代言語学に甚大な影響を与えたF・ソシュール以来、言語学は言語の共時態と通時態を峻別する。共時態というのは、ある言語のある時代における体系の全体を表す。通時態というのは、ある言語のある時代からある時代への変遷を表す。共時態の記述に通時態の記述を持ち込んではならないというのが、共時態と通時態の峻別ということである。

 書かれているのは言語学の話であるが、私たち歌人にとっては人ごとではない。「文語」(実は古典語)と「口語」(実は現代語)という用語からして、そうである。その混迷もしくは病弊の最たるものが混合体と呼ばれる片言短歌であろう。
 きれいな日本語と出会いたい。読みたい。また詠みたい。切に思われるこの頃なのだ。
 

歴史的仮名遣いと近代短歌

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 6月 6日(火)09時13分15秒
編集済
   野村剛史の『話し言葉の日本史』(吉川弘文館)を読む。目次「古代の日本語」の「音韻の変化」中「歴史的仮名遣い」の記述に「今日の『歴史的仮名遣い』は『復古仮名遣い』とも言われたくらいであって、所詮は恣意的な時代設定に基づく人工的なものである」「要するに、明治期以来の『旧仮名遣い』は、確かに歴史的仮名遣いの一種には違いないが。『いろは歌』に基づいた『いろは仮名遣い』と考えるのが適切である」とある。では「いろは仮名遣い」のほかに、どのような仮名遣いが想定されるかといえば「あめつち仮名遣い」「上代仮名遣い」また「四つ仮名遣い」があってもよかったことになる。歴史的仮名遣いも相対化されて然るべきものなのだ。このことは『日本語の歴史7』(平凡社ライブラリー)の「明治にひろめられた歴史的仮名づかいの基礎をさだめたのは、かの契沖だった」(208頁)「歴史的仮名づかいというものは、その基準とあおぐべき時代をどこにえらぶかで、これまた一様ではあり得ないという観点から、世俗にいうところの歴史的仮名づかいを、じつは〈契沖仮名づかい〉だとし、この名でそれをよんでいる(念のためにくどく説明するならば、契沖仮名づかいは歴史的仮名づかいであるとして、しかし、その逆は、真ではないのである。〈歴史的仮名づかい〉には、契沖仮名づかいとはまったくちがったものがあっても、理論的には、いっこうにさしつかえないわけなのである)」(208~209頁)を思い出させてくれる。また同書の「〈歴史的仮名づかい〉が真に上からの権威のもとに厳格な意味で行われた時代を、もし明治四十年から、戦後の〈現代仮名づかい〉へのきりかえまでとかぎれば、じつは、それは、半世紀にもみたない短いいのちしかもっていないのであるが、それにしても、すでに、そのかぎりでも、現代の文化に根をおろしてはきたし、したがって、それなりの、いわば実績をもっていたといいえよう」(229頁)と「歴史的仮名づかいの生命はみじかかった」(小見出し)ことを述べている。
 これに近代短歌の生命を重ねてみよう。近代短歌の始点を「明星」創刊の1900(明治33)年、終点を1945(昭和20)年の敗戦として、せいぜい45年、歴史的仮名づかいに負けず劣らずの生命だったのである。日本語と五句三十一音詩の長い歴史に鑑みて、あまりにも絶対視しすぎてはいないか。現代短歌72年の歴史の上に立って、いまだア・プリオリなものとして君臨する近代短歌を、その入り口からして相対化してみることが必要なのではないか。
 様式の未来のためにも
 

短歌人兵庫歌会6月

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 5月29日(月)08時56分44秒
  題詠は「降る」です。初めての方、歓迎です。
日  時 6月18日(日)13時~17時
場  所 神戸市勤労会館(303会議室)
     神戸市中央区雲井通5丁目1-2
     ℡ 078-232-1881
交  通 市営地下鉄・JR・阪急・阪神・ポートライナー各三宮駅から東へ徒歩10分
会  費 500円
参加方法 自由詠1首、題詠1首、住所、氏名を記入の上、下記にお送りください。
       ※題詠=降る(ふる)
宛  先 吉岡生夫
     E-mail yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.ne.jp
締め切り 6月10日(土)     必着

今後の予定 7月16日(日)神戸市勤労会館(303会議室)
         9月17日(日)神戸市勤労会館(予定)
 

短歌人兵庫歌会4月の御案内

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 3月30日(木)17時14分27秒
  題詠は「周辺(あたり・まわり)」です。普段の会議室は12名の部屋ですが、これを越えても大丈夫な会議室を確保しています。春です。あなたの参加を待っています。
                        記
日  時 4月16日(日)13時~17時
場  所 神戸市勤労会館(303会議室)
     神戸市中央区雲井通5丁目1-2
     ℡ 078-232-1881
交  通 市営地下鉄・JR・阪急・阪神・ポートライナー各三宮駅から東へ徒歩10分
会  費 500円
参加方法 自由詠1首、題詠1首、住所、氏名を記入の上、下記にお送りください。
宛  先 吉岡生夫
          E-mail yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.ne.jp
締め切り 4月8日(土)     必着


今後の予定  5月21日(日)神戸市勤労会館
       6月18日(日)神戸市勤労会館(予定)
 

用語論三部作

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 3月12日(日)17時48分21秒
編集済
  1.用語論~鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない~  (2016.2.12)

連歌師といい、俳諧師というが、この言葉に違和感は持たない。連歌も俳諧の連歌(連句)も座の文芸だからである。しかし和歌師という言葉は聞かない。歌合の判者を和歌師と呼ぶ習慣もない。和歌が個の文芸だからである。同じ五七五七七すなわち五句三十一音詩である狂歌も同様である。だが現実には狂歌師という言葉が存在している。インターネット辞典検索サイト「ジャパンナレッジ」で全文検索をかけると「狂歌師」が七〇〇件、「狂歌人」が二十九件、「狂歌作者」が三十三件となる。個の文芸に「師」がつくのは、本来の趣旨からしてイレギュラーである。そのイレギュラーがレギュラーになるという本末転倒はいつからなのか。


2.用語論~矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について~  (2016.2.19)

狂歌を読もうとすると『狂歌大観』(明治書院)・『近世上方狂歌叢書』(和泉書院)・『江戸狂歌本選集』(東京堂出版)がある。あるというか、分かれているので別々に手にすることとなる。『国歌大観』のように一つにまとまっていない。いわば『狂歌大観』に収録する狂歌史が一本あって、そこから『近世上方狂歌叢書』と『江戸狂歌本選集』という二つの狂歌史が並走しているかのような印象を受ける。何故なのか。このセクト主義とも呼びたくなるようなイレギュラーの拠って来たる由縁を明らかにしたい。また必要以上に矮小化されてきた「上方狂歌」の実態を明らかにしたい。端的にいえば天上天下唯我独尊的「天明狂歌」の煽りを食って「上方」の名を冠さないと語れなくなっている、押し込まれた近世狂歌の豊かさを明らかにしたい。なぜなら五句三十一音詩としての「狂歌史」は、和歌と短歌を結び、またその未来のあり方をも照らしているからである。


3. 用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~  (2017.3.10)

本稿は「文語」(古典語)と「口語」(現代語)という用語が現代短歌に混迷をもたらしているという見地から、それと不可分に存在する用語「文語体短歌」と「口語短歌」を破棄し、「文語文法」から「古典文法」への呼称の変更に併せて、遅ればせながら、現代に相応した「古典語短歌」と「現代語短歌」を提唱するものである。

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