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ロビン・D・ギル著『古狂歌 気の薬のさんぷる袋』

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年10月16日(月)10時38分4秒
  1頁に「古狂歌気の薬あくまでも不完全大集」(近出版予定・未定の別冊とその決定・仮定の書名)/本書は、下記なる「古狂歌 ご笑納ください」の大文字(14フォント)の五分の一の短縮版/『古狂歌 気の薬のさんぷる』978-0-9979463-3-8/万葉集まで首狩に行ってきました『古狂歌 ご笑納ください』978-0-9979463-0-7/託せば思ひも軽くなります『古狂歌 物に寄する恋』978-0-997-9463-1-4/鮑の貝も戸ざさぬ国を祝ふ『古狂歌 滑稽の蒸すまで』978-0-9979463-2-1/近刊。状況次第に出版の順番は変わるが」とあって、以下に12冊の書名が列挙されています。

これは事件なのです!

「古狂歌 気の薬は拙出版社paraverse press」の初和書のシリーズになります。」(4頁)


ロビン・D・ギル著『古狂歌 気の薬のさんぷる袋』
ペーパーバック 690頁 縦24.5㎝ 横19㎝ 厚さ1・2㎝

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ロビン・D・ギル著『古狂歌物に寄する恋』

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年10月16日(月)08時54分57秒
  「副題は「託せば思ひも軽くなります。」古代和歌の恋の比喩歌と暗喩を見出した恋歌まで遡る二千首の大半が「寄海恋」とか「寄蟻恋」の如く何かの物に寄せた題歌が原本のまま、その小半の首には、著者の勝手に「寄」の題を付けました。」(682頁)

ロビン・D・ギル著『古狂歌物に寄する恋 託せば思ひも軽くなります』
ペーパーバック 690頁 縦24.5㎝ 横19㎝ 厚さ3・5㎝

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ロビン・D・ギル著『古狂歌ご笑納ください』

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年10月16日(月)06時22分14秒
編集済
  Robin D Gill 氏の『Mad in Translation』(2009年)、『Kyoka, Japan's Comic Verse: A Mad in Translation Reader』(2009年)に続く狂歌本です。
著者によると
「本書『古狂歌ご笑納ください』は、不完全大集の中で唯一の総合紹介ないし一般読者向けの案内所です。狂歌に携わる単行本は無論あるが、歌の内容を縦横に読者と一緒に探検し尽くす案内書は、これだけです。」(14頁)
とあります。
ただのはったりと思ったら大間違いです。
その凄さ、すさまじさは至るところから看取できます。
「コロンビア大の図書館から借りた近世上方と江戸狂歌本のシリーズを完読、ボールペン二十本も消耗しながら、ご覧の通りに狩りた全首を書き溜めて、後に打ち込んだ証明」(2頁)
「狂歌を数万首も打ち込んだファイルにある各題のとんでもない富は、本書の限られた歌例ないし「見本」だけで、はたして無事に伝われたかどうか」(562頁)
『狂歌大観』と『夫木和歌抄』を「自分の知性も懸けた気分で必死に読みながら、択んだ首を又必死に英訳してみた。妹と老犬の面倒を見ながら、毎日何回もあった急務の暇を盗んだ執筆で、二頁ずつのミニ章になった740頁の洋書Mad in Translationを書き上げて出版したが」(575頁)
『近世上方狂歌叢書』『江戸狂歌本選集』が「日本国外唯一の大学図書館あるコロンビア大のNYCへ引っ越し、当大に千$を支払ったら、ブルックリンのアパートまで本を持ち帰え、改造したゴミから拾ったロッキング椅子に腰掛けながら完読した。狂歌大観で見つけた数千首は、何万首に増えた。今やっと皆さんとその獲物を分かち合える。」
というものです。


ロビン・D・ギル著『古狂歌ご笑納ください 万葉集まで首狩に行ってきました』

ペーパーバック 598頁 縦24.5㎝ 横19㎝ 厚さ3・2㎝

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第9回 角川全国短歌大賞

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 9月 1日(金)13時11分20秒
編集済
 


第9回

角川全国短歌大賞

       締め切り迫る!!

兵庫県の皆さん、題詠もよろしくお願いします。

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短歌人兵庫歌会9月の御案内

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 8月30日(水)15時51分38秒
  題詠は「秋の花」または花の名となります。所用で欠席の場合は作品のみの参加を受け付けます。選歌と「今月の注目歌」を提出して下さい。結果を報告させて頂きます。人の目に映る「私」を知る絶好の機会です。

日  時 9月17日(日)13時~17時
場  所 神戸市勤労会館(701会議室)
     神戸市中央区雲井通5丁目1-2
     ℡ 078-232-1881
交  通 市営地下鉄・JR・阪急・阪神・ポートライナー各三宮駅から東へ徒歩10分
会  費 500円
参加方法 自由詠1首、題詠1首、住所、氏名を記入の上、下記にお送りください。
       ※題詠=「花」もしくは花の名
宛  先 吉岡生夫
     E-mail yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.ne.jp
締め切り 9月9日(土)     必着

今後の予定 10月15日(日)神戸市勤労会館
      11月19日(日)神戸市勤労会館
 

姫路歌人クラブ 第28回合同歌会出詠案内

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 8月23日(水)18時32分1秒
  日 時 平成29年11月3日(金・祝)
    受付12時半 歌会13時~16時
会 場 姫路市民会館(079-284-2800)
    4F 第4・5・6会議室
出 詠 クラブ会員以外でも可、原稿用紙に作品一首と住所、氏名、電話番号を楷書明記
宛 先 西村久代方 姫路歌人クラブ事務局
    *省略した住所は yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.jp に問い合わせて下さい。
締 切 平成29年9月30日(消印有効)
出詠料 1,000円(茶菓子代を含む)
    歌稿に同封のこと

歌会は3分科会とし、各会場では出席者の作品すべてに対し、質疑応答を交えて勉強会をします。
分科会後、全体会をもちます。奮ってご参加下さい。

           主催 姫路歌人クラブ
           後援 姫路市
              姫路市教育委員会
 

大阪府知事賞 第62回 新春短歌大会

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 8月14日(月)18時14分39秒
  日  時 平成30年1月28日(日) 12時30分~16時30分(受付開始12時)
会  場 豊中市立中央公民館(阪急電車宝塚線曾根駅下車東・市民会館北隣)
当日会費 500円
次  第 講演・作品批評・表彰
講  演 「短歌のかがやき」
講  師 道浦母都子(「未来」選者)
御  題 「語」(必ず「語」を詠み込んで下さい)
応  募 未発表作品に限ります。応募用紙に、作品と、郵便番号・住所・氏名・電話番号・出席予定を明記のうえ、出詠料を添えてご送付下さい。
     (詞書などはご遠慮下さい)
出詠料  2首まで2000円(1首でも同じ)、3首目からは1首につき500円。何首でも可。
     郵便小為替またはゆうちょ銀行振替口座 加入者名 短歌友の会連盟 記号14120 番号85160391をご利用下さい。
宛  先 澤田直子方 短歌友の会連盟事務局
     *吉岡(yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.ne.jp)に連絡頂ければ応募用紙をお送りします。
締  切 平成29年11月15日(消印有効)
選  者 上田明・佐沢邦子・牧雄彦・安田純生・吉岡生夫
賞    大阪府知事賞
       第一席(賞状・副賞商品券一万円)
       第二席、第三席(賞状・副賞商品券七千円)
     豊中市長賞(賞状・副賞商品券五千円)
     豊中市議会議長賞・豊中市教育委員会賞・豊中市中央公民館長賞・短歌友の会連盟会長賞(賞状・副賞商品券三千円)
     選者賞若干名  佳作若干名
主  催 豊中市立中央公民館・短歌友の会連盟
 

Amazon.co.jp: 吉岡 生夫:作品一覧、著者略歴

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 7月12日(水)08時31分4秒
  Amazon.co.jp: 吉岡 生夫:作品一覧、著者略歴に写真をアップしました。「短歌人」に入会した頃と思われます。今後、20代、30代、40代、50代、60代の写真を加えていくつもりです。

【著者略歴】
1951年生まれの歌人。「短歌人」同人、現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。
 十代から短歌と親しむ中で次第に違和感をも育んだ。それを解消してくれたのが五句三十一音詩という概念だった。万葉集の三十一文字は長歌に対する短歌であり、古今和歌集は漢詩に対する和歌であった。和歌は短歌のすべてをカバーしなかった。近世はその和歌と和歌に対する狂歌の並立時代である。この史観に日本語の歴史を重ねると古代語の和歌に対して、談林俳諧と時期を同じくして近代語を導入した狂歌の先見性が際立ってくる。さらにこの考えを近現代短歌に敷衍して用語「文語体」と「口語短歌」に替わる「古典語短歌」と「現代語短歌」を提唱し、論作両面から訴えている。
 

短歌人兵庫歌会7月の御案内

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 6月29日(木)16時43分36秒
  題詠は「虫」または虫の名となります。所用で欠席の場合は作品のみの参加を受け付けます。選歌と「今月の注目歌」を提出して下さい。結果を報告させて頂きます。人の目に映る「私」を知る絶好の機会です。

日  時 7月16日(日)13時~17時
場  所 神戸市勤労会館(303会議室)
     神戸市中央区雲井通5丁目1-2
     ℡ 078-232-1881
交  通 市営地下鉄・JR・阪急・阪神・ポートライナー各三宮駅から東へ徒歩10分
会  費 500円
参加方法 自由詠1首、題詠1首、住所、氏名を記入の上、下記にお送りください。
       ※題詠=「虫」もしくは虫の名
宛  先 吉岡生夫
     E-mail yoshioka-ikuo@pat.hi-ho.ne.jp
締め切り 7月8日(土)     必着

今後の予定  9月17日(日)神戸市勤労会館
      10月15日(日)神戸市勤労会館
 

口語歌、口語短歌とは近代の用語。今は現代語短歌なのだ

 投稿者:吉岡生夫  投稿日:2017年 6月26日(月)16時52分13秒
  私たち歌人は二つの文法を知っている。一つは古典文法であり、もう一つは現代文法である。古典文法にのっとって作られるのが古典語短歌であり、現代文法にのっとって作られるのが現代語短歌である。これが歌人・吉岡生夫の見立てであるが、如何せん、歌の世界では市民権を得るに至っていない。その気配もない。
 彼らにとって、古典文法とは文語文法であり、古典語短歌とは文語体短歌(文語短歌)のことなのだ。これを受けて現代文法とは口語文法となり、現代語短歌とは口語歌(口語短歌)となる。なるほど「ジャパンナレッジ Personal」で「すべてのコンテンツ」、見出し「文法」、後方一致で検索すると89件がヒットする。そこに「文語文法」と「口語文法」は見いだせるが、「古典文法」も「現代文法」も登場しない。その意味では「文語体短歌(文語短歌)」も「口語歌(口語短歌)」も理にかなっている。ただし、その「理」が正しく現代を反映しているかどうかは、もちろん別問題である。ちなみに『現代短歌大事典』(三省堂)を開くと「口語短歌」は載っている。「口語歌」はないが、「口語歌運動」が載っている。一方で「文語体短歌」「文語短歌」は載っていない。アプリオリな存在らしい。いずれにしても「ジャパンナレッジ Personal」の各辞書(事典)も『現代短歌大事典』も、この点に関しては見直す必要があるだろう。

 ほかでもない。野村剛史著『日本語スタンダードの歴史 ミヤコ言葉から言文一致まで』(岩波書店)の第Ⅱ部「スタンダードから言文一致体へ」第1章「明治初年の口語体」を読みながら、その確信を強くしたのであった。
 私たち歌人は、まだ言文二途の時代を脱していないのだ。
 以下、*の註また赤字と太字の処理は吉岡である。

【204頁~205頁】
 この時期の言文一致論に付随する問題として、「話し言葉」と「書き言葉」に関する概念上の混乱がある。「はじめに」で示したように、「話し言葉」と「書き言葉」については、
  話し言葉(*現代文法)
      ┌口語体(*現代文法)
  書き言葉┤
      └文語体(*古典文法)
という、非常に単純な構造が存在するのだが、主要な「書き言葉」が「文語体」であったこの時代には、しばしば無造作に、「書き言葉」と「文語体」が一つのものとして、「話し言葉」と「口語体」が一つのものとしてイメージされてしまう。少なくとも、「口語体・文語体」という文体の相違は、「書き言葉」内部の分化に過ぎないことに自覚的ではないのである。
 「言文一致」とは、その本来の目的を考えると、「書き言葉口語体」を創出することである。ところが、「言文一致」という用語で、「書き言葉口語体の創出」を意味することは、困難である。けれども、実際に大抵の言文一致論者が行おうとしていることは、「文語体」であった。「文」(書き言葉)の文法を、「話し言葉」の文法を基盤にした「書き言葉口語体」に置き換えようとすることであった。実際、「言」が話し言葉を意味し、「文」が書き言葉を意味するのであったら、それらを「一致」させることは不可能であるが、そのような用語上の弱さ・矛盾を「言文一致」は抱え込んでいた。だから「言文一致」という用語に対しては、いくらでも揚げ足取りが可能である。しかし、理屈の面では不十分だったかもしれないが、明治期に「言文一致」は立派に成功を収めた。実際には、古典文法ではなく話し言葉の文法に従った書き言葉、すなわち書き言葉口語体の創出に成功したのだ。もっとも忘却されてはきたが、「書き言葉口語体」はもともと、開化啓蒙体や小新聞談話体として、半分くらいは自然発生的にでき上がっていたわけである。

【207頁~208頁】
 辰巳小次郎は(略)「話し言葉=口語体」と考えており、言文一致論者もまた「話し言葉=口語体」と述べてきていたので、二つの見当はずれが一致すれば、矢は的を射ぬいてしまうのである。
 ちなみに、翻訳家として著名な森田思軒もまた(略)、「話すとおりに書くことはできない。だから言文一致体は不可能だ、現に西洋でも話すとおりには書いていない」という趣旨で議論を組み立てている。しかし、確かに欧米の文章は「言文一致体」なのであるから(文語体ではないのであるから)、そこから出発すれば議論は逆に「書き言葉」と「話し言葉」の差異にたどり着くはずであるが、「話し言葉=口語体」(*現代語)「書き言葉=文語体」(*古典語)という連結は、それほどまでに強固なのであった。

【209頁~210頁】
 四迷は、言文一致不可能論に対して次のように述べている。

   (略)、欧米諸国に二つの文法なし、言語も文章も皆同一の文法を奉するもの也、(略)。

 「言語も文章も皆同一の文法を奉ずるもの」が「言文一致」なのであって、「平生の談話」は「整斉を欠く」ことがあるが、「文章を綴る時には」「極めて整斉」なのは、当たり前のことだと考えている。「話すとおりに書く」ことを反対根拠にして行う言文一致体批判は、美妙・二葉亭には通用しない。

 以上。
 長々と引用したのは、ほかでもない。歌壇における用語である「文語(文語体)」と「口語(口語体)」ないし「文語体短歌(文語短歌)」と「口語歌(口語短歌)」を連想せざるを得なかったからである。強烈といってもよい、この連結から私たちは解放されていない。
 現状は、

    ┌話し言葉、口語(口語歌・口語短歌)  ─口語文法
  短歌┤
    └書き言葉、文語(文語体短歌・文語短歌)─文語文法

だろう。しかし時代は言文一致後の現代である。したがって、

       ┌話し言葉、口語┐
  古典語短歌┤       ├古典文法
       └書き言葉、文語┘

       ┌話し言葉、口語┐
  現代語短歌┤       ├現代文法
       └書き言葉、文語┘

とならなければならない。
 口語歌ではない。口語短歌ではない。現代語短歌なのだ。同じように文語体短歌ではない。文語短歌でもない。古典語短歌なのだ。古典文法と現代文法という異なる文法によって文体も二つに分かれるのだから当然といえば当然の話である。いわゆる混合体などという奇妙な文体が流行るのも、こんなところに一因があるのかも知れない。もっとも古い詩型に携わる歌人の日本語が最も怪しいのである。
 歌の批評といえば、その内容が俎上にのぼるのが通例である。もちろん、そのことに異存があるわけではない。それはそのとおりなのだが、その前に、ほんの少しでもよいから、ツールとしての日本語について考えを及ぼしたい。そんな機会になることを願わざるを得ないのである。

【参考】

用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~


現代の雅俗折衷歌人の皆様へ

共時態と通時態~混迷する現代短歌~
 

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